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で、話を戻しますが、当時、地元(ロコ)サーファーも数は少ないながら居ました。
一度徳之島へ行くと、最低1週間は滞在して波乗りばかりしてましたから、ロコサーファーの少年達とも話をするようになったりしました。
高校生くらいのそのロコボーイのお話の中で、ちょっと面白いことを聞きましたので書いておきます。
管理人は関西人ですから、女の子に声をかける(いわゆるナンパ)時には、「お茶でもしばきに行けへん?」みたいな、今では考えられないような言葉が当時ごく普通だったのですが、徳之島ロコボーイいわく「きび担ぎに行けへん?」らしいです。
「きび」とは「さとうきび」の意味だそうで。
一面のサトウキビ畑が広がる徳之島では、サトウキビの収穫作業がごく自然に生活の一部になっているというところから出来た徳之島ジョーク。
本当にそんなこと言う訳はないのですけど、土地柄の良く出たグッドなジョークだと思いません?
ところで、そのロコボーイが持っていたサーフボードが、なんと手作りだそうです。
サーフィンしている姿(と言うか、テイクオフがほとんど出来ないレベルだったので、パドリングしている姿ですが)を見ていて、「ずいぶんロッカーのきついボードだなぁ」と思っていたのですが、まさか手作りとはねぇ。
材質は何だったのか、表面は何で固めてあるのか全然分かりませんが、とにかくそれでサーフィンしようと頑張っていた彼(彼ら)は、後に徳之島サーフィン界の大物になっているのかもしれませんね。
フンニャト浜では、彼らロコボーイをたまに見かけるのと、他県からサートリップにやってきたビジターサーファーをたまに見かける程度で、ほとんどは管理人とその仲間達だけでほぼ独占しているような状態でした。
今ではもうそんなことは夢のような話なのでしょう。
もちろん今ではローカルサーファーもたくさん育ち、他県サーファーとも仲良くやっているんだろうと想像しています。
別の項目(当時のサーフポイント その1)で書きましたが、徳之島の方達はびっくりするほど優しくて親切で、そんな島民性がきっと受け継がれていると思いますから。
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